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シンガポールに引越しました

おばあちゃんの葬式

大大大好きだったばぁちゃんが亡くなった。私、ギリギリ間に合わなかった。
92歳。ボケなかったし自宅だったし、天寿をまっとうしたと思う。
写真は3年前、私の結婚式で。コース料理を見事に完食したうえ、
クイズ当ててシンガポールスリングをゲットしたところ。
オシャレさんでかわいいの。笑顔もキュートでしょ?

本人の希望で自宅葬だった。
希望はいいけどジジババばかりで働き手がおらず、
私は準備と弔問客の応対で、3日間家に帰れなかった。
伯父さんの見立てでは「2〜30人程度しか来ないから大丈夫」だったのに
3日で100人来てくれた。ばぁちゃんは世話焼きで、友達が多かったから、ありがたいことだ。


戒名代っていくら包むのとか、枕飯どうするのとか、蝋燭いつ消すのとか、
数珠どこにしまったのとかもう、とにかくわからないことが多すぎて
「ばぁちゃん起きて!教えて!」ってみんなで悲鳴あげてた。


息を引き取ってすぐ、叔母さんが顔をマッサージしたら口角がキュッとあがって、
微笑んだ表情になった。ほんとここに載せたいくらいの、穏やかで安らかな死顔。
もともと肌ツヤも血色もいいし、唇なんかプルンプルンで、
泣きすぎて目の開かない私より、よっぽどキレイな顔だった。
病気で少しやせたから、遺影より美人だと、弔問客にも褒められてた。


焼き場にもついていった。
普通70歳を過ぎると、女性は骨がもろもろになってしまうものらしいけど、
ばぁちゃんの遺骨は、それはそれはきれいに残った。
立派すぎて骨壺に納まらず、
「少しだけ崩させていただきますね」と言ってざりざりつめこまれてた。
「本当に立派なお骨で…」と葬儀屋や弔問客皆が口々に褒めるのを聞いて、
私はすこし可笑しくなってしまい、涙がちょっとひっこんだ。


伯父さんが棺に入れた、三途の川の橋渡し賃だという50円玉が焼け残った。
電話代の25セントコインは溶けてなくなっていたから、電話は来ないかもしれない。
葬儀屋さんによれば、一番強いのは10円玉らしい。へぇへぇ。
シンガポールの幸運の1ドルも入れてあげればよかったな。


お葬式は忙しかった。「悲しむ時間を与えないため」っていうのは本当かもしれない。
それでもしめやかに…と書きたいところだけど、久々に集まった親戚で盛り上がったり
遅くまでひいじいちゃんの汽車を合唱したりして、なかなが賑やかなお葬式だった。